エデュ・プラニング社会課です。
各地で梅雨明けが発表され、本格的な夏が近づいてきました。
今回は「サマータイム」をテーマに、社会科でも扱う「時間」について少し踏み込んで考えてみたいと思います。
サマータイムとは、夏の間だけ時計の針を1時間進め、日の長い時間を有効に使おうという制度です。
第一次世界大戦中の1916年にイギリスとドイツで実施され、その後はヨーロッパ諸国やアメリカ、カナダなど、夏の日照時間が長くなる地域を中心に採用されてきました。
省エネや明るい時間の有効活用などのための合理的なしくみ――長くそう説明されてきましたが、近年、その考え方が見直されてきています。
第一に、省エネ効果そのものへの疑問です。
そもそもサマータイムは、一日の明るい時間を増やすわけではなく、時計を進めて、朝の早い時間にあった明るさを夕方へ移しているだけです。
しかも、この制度が広まった時代とは異なり、現在は消費電力に占める照明の割合が以前より低くなっています。
そのため、夕方の明るさで節約できる電力量はわずかで、冷暖房の使い方しだいではその効果は簡単に相殺されてしまいます。
実際には、かえってエネルギー消費が増えたという研究報告もあり、「節電のため」という説明は、もはや自明ではありません。
第二に、健康や社会への負担です。
時計を1時間進めた直後の数日間は、睡眠のリズムが乱れ、心臓発作や交通事故が増えると報告されています。
こうした負担などを背景に、近年では世界各地で「年に2回時計を切り替えるしくみ」を見直す動きも出ています。
EUでは2019年、欧州議会が季節ごとの切り替えの廃止を支持し、アメリカでも2022年、サマータイムを通年にする法案が上院を通過しました
(いずれも2026年7月時点では実現には至っていませんが、「やめたい」という声は強まっています)。
賛否がありながらも、欧米では長く根づいてきたサマータイム。
実は日本でも戦後の1948年からサマータイム(夏時刻法)が実施されましたが、わずか数年で廃止されました。
なぜ日本ではサマータイムは根づかなかったのでしょうか。
その理由としてまず挙げられるのが、緯度の違いです。
サマータイムが大きな意味を持つのは、夏と冬とで昼の長さが極端に変わる、緯度の高い地域です。
ところが日本は、札幌でさえロンドンやパリより南に位置し、夏と冬の日照時間の差は欧米ほど大きくありません。
そのため、時計をずらしても得られる利点が小さいのです。とはいえ、理由は緯度だけではありません。
もう一つは、生活への影響です。
当時の日本は労働基準法の遵守が十分ではなく、「まだ外が明るいから」と退社時刻が遅れ、余暇が増えるどころか労働時間が延びてしまったことや、日の出に合わせて農業を行う農家の生活サイクルとの相性が悪かったことなどの事情から国民生活への負担が指摘され、わずか数年で廃止されました。
こうして眺めると、サマータイムの議論は、単なる「時計の話」にとどまるものではありません。
その根っこにあるのは、「時間」とは、地球の自転などの自然現象にのみ従って決められたものではなく、近代以降の人間社会を円滑に営むための取り決めであるという事実です。
日本で東経135度が標準時子午線として初めて設定されたのも、鉄道や電信が広まった1888年と、意外に新しいできごとでした。
世界を24の時間帯に区切るタイムゾーンも、日付変更線も、サマータイムも、天体の動きという自然の上に人間が引いた「線」なのです。
時差や標準時は社会科(地理)の定番のテーマですが、その計算問題には、きまって「サマータイムは考えないものとする」というただし書きがつきます。
計算が煩雑になるため、問題ではあえて「例外」として外すのです。
しかし、サマータイムは「自然の時間」と「社会が決めた時間」のずれを考える格好のテーマでもあります。
だからこそ、計算問題として扱うだけでなく、「なぜその制度があるのか」「誰のための制度なのか」と社会のあり方を問い直すきっかけとしても適しています。
知識を覚えるだけでなく、その背景にある理由や社会のしくみを考える力が求められる今、こうした身近なテーマは、社会科を学ぶ上でも大切な題材といえるでしょう。