スペインの「サグラダ・ファミリア」が、ついに完成するとの報道がありました。
サグラダ・ファミリアは、天才建築家とされるアントニ・ガウディが設計した教会で、その正式な名称は聖家族贖罪聖堂といいます。彼の建築物は、自然界をモチーフとして、曲線と細部へのこだわりが特徴的であり、サグラダ・ファミリアもほぼ全てが曲線からなるそうです。そんなサグラダ・ファミリアですが、ガウディが建築家として就任したのは、1882年に着工したその翌年とされています。
肌感覚でいえば、このような内容面より、サグラダ・ファミリアは「現在でも完成していない未完の建築物」としての一面が、世界的に知られているような気がします。
確かに、1882年から現在までとなると、140年以上経つ今でも未完成ということになり、そこに凄さを感じている人が数多くいることでしょう。そういう意味でいえば、日本にもそれを超える未完成の建築物があります。
その建築物は、サグラダ・ファミリアよりも約300年も前の1617年に着工されました。柱を逆にするなど、現在でも“あえて”未完成としているそれは、「日光東照宮」です。天海という人物が建築した、「家康を神にした」神社です。
完成するサグラダ・ファミリアと、現在も未完成の日光東照宮。世界的には「未完成のサグラダ・ファミリアがついに完成してすごい」という、完成美化の風潮の中で、未完成だからこその魅力についてまとめていこうと思います。
例えば、イギリスの思想家ジョン・ラスキンは、「未完成でない建築は、本当の意味で高貴なものとなりえない」とし、つまり未完成なものを評価しています。この考え方に則しても、サグラダ・ファミリアの完成により、日光東照宮はこれを超えるということにはならないでしょうか。彼によると、人間を含めて自然界には完成したものはなく、すべてのものは不完全で変化を内包しているというのです。常に不完全で、変化していく。日光東照宮も現代に至るまでに何度も修理されてきました。その修理も大規模です。政府広報でも「江戸時代から大小21回に及ぶ修理が繰り返され、その美しい姿が守られてきた」とあり、さらに、平成の大修理では22年という修理計画で行われていました。
ただ、修理については、材質や技法を厳格に踏襲することを基本とするといわれています。大きな変化はないように思われますが、日光東照宮については、修理後の姿が話題になることもあります。たとえば、「見ざる・言わざる・聞かざる」で有名な三猿は、修理のたびに顔が変わっています。また、国宝に定められている陽明門についても、家光の時代には赤っぽい褐色であったのが、今では白に。屋根も檜皮葺きから瓦に変わっています。
このように、私たちの前にある日光東照宮は、天海が一応はつくりあげた段階から変化を遂げた“日光東照宮”ということになります。さて、私たちはコレを、「日光東照宮」と呼んでよいのでしょうか。そして、ついに完成するサグラダ・ファミリアについても、「サグラダ・ファミリアが完成したら見にいきたいね」とはいいますが、出来上がったソレを“サグラダ・ファミリア”といってよいのでしょうか。本来ガウディが想定したソレであるといい切れるのでしょうか。
思考実験の一つにテセウスの船というものがあります。簡単に説明させていただきます。かつてテセウスという人物が乗った「テセウスの船」があり、その船が老朽化とともに、朽ちた部品を次々と新しいものに換えていきました。するといつの間にか、元の部品は一つもなくなり、形自体は当初から変わってはいないものの、部品は全て新しいものとなりました。さて、この時この船を「テセウスの船」と呼べるのか、というのがこの思考実験です。
これを、現実世界の日光東照宮とサグラダ・ファミリアに落とし込んでみると、形すら変わってしまった日光東照宮の方が、もはや「日光東照宮」とはいえないのではないか、とツッコミを受けてしまいそうです。
しかし、テセウスの船の思考実験において、「これはテセウスの船と呼べるのか」と疑問が生まれたのは、完成したテセウスの船に手を加えてしまったから、ともいえないでしょうか。完成がこの疑問を生んだとするならば、完成したサグラダ・ファミリアにも、数百年後に同様のことが生じている可能性が、ないともいえません。私たちは、長い間未完成状態であったものを「サグラダ・ファミリア」と呼んできましたが、完成して、そして変化していくソレを同様に呼んでよいのでしょうか。その一方で、屁理屈のようではありますが、日光東照宮は一応まだ完成していないので、いつまでも「日光東照宮」として存在し得ると捉えることもできるのです。
さて私たちは、「サグラダ・ファミリア」の完成を喜んでよいものなのでしょうか。
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