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夏の甲子園は過去3回中止になっている?甲子園に関わる歴史的背景とは

エデュ・プラニングの社会課です。

今年の夏は,4年ぶりに声出し応援が解禁された甲子園も大いに盛り上がり,テレビや新聞では「慶應(神奈川)が,第105回全国高等学校野球選手権記念大会(以下,夏の甲子園)を制し,107年ぶり2度目の優勝を果たした」などと報じられました。

しかし,報道のなかに感じる少しの違和感。今大会は「第105回」なのに,慶應高校が優勝したのは「107年ぶり」となっています。しかし,夏の甲子園が毎年開催されているならば,大会開催回数は107回より多いはず。つまり大会が”中止”になった年が数回あるということなのです。

記憶に新しいのが2020年の「新型コロナウイルス感染症の流行による中止」。世界で7億5000万人以上が感染し,猛威を振るったウイルスの感染拡大防止という背景のもと,中止が決定されました。

夏の甲子園の長い歴史のなかで,中止が何回あったのか,またなぜ中止となったのかを見ていこうと思います。

調べてみたところ,夏の甲子園が中止と判断されたのは,先の新型コロナウイルスによる中止もあわせて合計3回。かなり限られた事例ということがわかります。

第1回大会が開催された1915年以降の歴史で,大会の中止を判断せざるを得ないほどの大きな出来事があったのでしょうか。

20世紀といえば,日本にとっても,世界にとっても大きな出来事がありました。1941年にはじまる太平洋戦争です。これにより1942年から1945年までの4大会が“中断”と判断されています。
“中断”のため大会回数には含めませんが,1941年に関しては“中止”と発表されています。日中戦争が激化したことにより,すでに地方大会が開催されている地域もあるなかで ,中止とされたそう です。これが2つ目の中止です。

ではあと1つは何か,検討がつきますでしょうか。

なんと3つ目の中止は1918年で,その原因は「米騒動」。富山県の魚津での事件を皮切りにはじまった運動が,全国的に暴動として広まった事件です。しかし「騒動で中止」といわれると「本当に中止しなくてはいけないほどなの?」と疑問も浮かびます。

ですが,本事件の背景まで見てみると,第一次世界大戦による大戦景気での物価上昇やシベリア出兵を見込んだ米の買い占めなど,世界的な経済の混乱とつながる一面もあります 。当時の米の価格は1916年からの2年間で約3倍に高騰したそうです。

警察や軍隊を出動させるほどの暴動が7月からおよそ2か月にわたり続いた結果,夏の甲子園も中止せざるを得なくなったというわけです。

以上,夏の甲子園を中止にさせた 3つの出来事でした。
その中止となった背景には多くの歴史的事象が関わっており,歴史の学びにもつながります。

歴史を単なる語句の暗記と捉えるのではなく,その出来事が何につながるのか,経済や政治の分野との関わりはどうなのか,「物価高騰のその後」 など現代にも活かせる知識はあるかといった背景部分まで理解できると,さらに面白く学べるのではないでしょうか。

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